人類史上初のマラソンレースは、アテネで開催された
オリンピック第1回大会にて行われました。
1896年4月10日、14時にスタートする人類史上
初のオリンピックマラソンレースを目前に、
マラトン村の橋の出発点に集まった出場選手は
僅かに25人でした。
ギリシャ人が18人、残りは米、豪、仏、ハンガリーと
四カ国で7人の選手しかいませんでした。
当時のコースは、距離的には36.75kmと、現在公認となって
いる42.195kmよりは少し短かったのですが、起伏の激しい
未舗装路の凸凹した道を走り続けるサバイバルなものでした。
このコースで、当時優勝候補と注目されていたのは、800m、
1500mと、共に優勝している豪のフラックでした。
ところが、この人類初のマラソンレースを制したのは、地元
ギリシャの羊飼い「スピリドン・ルイス」でした。
ルイスは、終始6~7位につけ、残り3kmでフラックを抜いて
首位に立ち、そのまま逃げ切って優勝しました。\(^o^)/
当時は応援に駆けつけた皇太子や王子が、ルイスと並んで
ゴールしてしまうような有様だったそうです。(笑)
優勝したルイスのタイムは2時間58分50秒でした。
今で言う、サブスリーですね!(^_^)
初代マラソンチャンピオンのルイスには、金メダルではなく、
月桂樹の冠が授与され、一躍ギリシャの英雄となりました。
当時は、現代のようなマラソンシューズもなく、ウェアもなく、
適当な格好で走る時代でした。
トレーニング方法や、食事、休養、全てにおいて、未知の
世界だったと思います。
レース中の吸水や、ペース配分などはどうだったのか?
詳しいことはわかりません。
記録を狙って走るというよりは、チャレンジスポーツとして
お祭りのような雰囲気だったことを想像してしまいます。
第一回オリンピック大会マラソンレースのニュースは、
その後すぐにヨーロッパやアメリカに伝わりました。
そして翌年の1897年に、アメリカでボストンマラソンが
初開催する運びとなりました。
その後のオリンピックでも、マラソンレースは開催され続けて
きたのですが、しばらくの間、42.195kmという決まった
距離は定められていませんでした。
マラソンの距離が42.195kmに統一されたのは
マラソンの距離が、42.195kmと統一されたのは1924年の
第8回パリオリンピック(フランス)からでした。
第1回~第8回オリンピックまでのマラソン距離は、それぞれの
大会でバラバラでした。
第1回 1896年 アテネ(ギリシャ) 36.75km
優勝者はルイス(ギリシャ) 2時間58分50秒
第2回 1900年 パリ(プランス) 40.26km
優勝者はティトー(フランス) 2時間59分45秒
第3回 1904年 セントルイス(アメリカ) 39.9km
優勝者はヒックス(アメリカ) 3時間28分53秒
第4回 1908年 ロンドン(イギリス) 42.195km
優勝者はへース(アメリカ) 2時間55分18秒
第5回 1912年 ストックホルム(スウェーデン) 40.2km
優勝者はマックファーサー(南アフリカ) 2時間36分54秒
第6回 1916年 ロンドン(イギリス) 第一次世界大戦により中止
第7回 1920年 アントワープ(ベルギー) 42.7km
優勝者はコーレマイネン(フィンランド) 2時間32分35秒
第8回 1924年 パリ(フランス) 42.195km
優勝者はステンローズ(フィンランド) 2時間41分22秒
その後、オリンピックのマラソンで、2時間20分を切るタイム
が出るようになったのは、第17回ローマ(イタリア)大会以後
のことです。
第17回 1960年 ローマ(イタリア)
アベベ(エチオピア)が2時間15分15秒
第18回 1964年 東京(日本)
アベベ(エチオピア)が2時間12分11秒で優勝!
このタイムは当時の世界新記録でした。
しかもオリンピックのマラソンで、2大会連続優勝という
偉大な記録を樹立しました。
さて、マラソンの歴史をざあっと見てきたのですが・・・
第8回のパリオリンピックでマラソンの距離が42.195kmと
統一される前に、第4回のロンドンオリンピックのみ、
42.195kmが採用されています。
当初ロンドンオリンピックのマラソンでは、26マイル(41.843km)
と規定されていました。
しかし、当時の王妃アレクサンドラから「マラソン競技のスタート
地点は宮殿の庭とし、ゴールは競技場のロイヤルボックス席の
前にするように」と、要望がでました。
このため、当初の予定より385ヤード延長されて42.195kmに
なったと言われています。
ではなぜ、この42.195kmが第8回のパリオリンピック以後、
マラソンの距離として統一されるようになったのかというと・・・
実は、この第4回ロンドンオリンピックのマラソンで、
1位で競技場に入ってきたドランド・ピエトリ選手(イタリア)が
ゴール直前で倒れ、競技役員に補助されゴールしたため、
後に失格となりました。
これは、「ドランドの悲劇」と言われていますが、
この悲劇により、ドランド・ピエトリ選手は、
多くの人々に感動を与えたこと称えられました。
この「ドランドの悲劇」と言われるドラマがあったことで、
第8回パリオリンピック以後、第4回ロンドンオリンピックの
走行距離「42.195km」が採用されるようになったとのことです。
マラソンの距離が42.195kmに統一された歴史を
調べてみると、個人的には大変興味深いシナリオが
あることを感じました。
王妃アレクサンドラの気紛れな?要望・・・により、
マラソンの距離が、たまたま?42.195kmとなった。
そして、その42.195kmのマラソンにおいて、
ドランド・ピエトリ選手がたまたま?ゴール直前で倒れ
失格になってしまった。
そのことで、多くの人々に感動を与えたと称えられた。
そのことがきっかけで、42.195kmという因縁の距離が
マラソンの距離として統一される運びとなった。
「現実は小説より奇なり」なんて、いいますが・・・
この世の全ては・・・
本当に目に見えないシナリオ通りに展開している
だけではと思うこの頃です。
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