晩秋の信濃路の風物詩~
第62回長野県縦断駅伝競走大会が11月16・17日と、
二日間にわたって開催され、今年も白熱したレースが
繰り広げられました。(^O^)
今年で62回目を迎える、歴史ある長野県縦断駅伝競走大会は、
県内の市町村を地区ごとに区分けして、それぞれの地域で選抜
された代表選手が集まります。
15チームが22区間で襷を繋ぐ、県内では最も知名度も高く
ハイレベルな選手が多数出場する大会です。
近年は、優勝チームが毎年のように入れ替わっていて、
メダル争いに絡む数チームの争いは熾烈になってます。
長野県縦断駅伝は只今戦国時代といった感じで、
今回も戦国時代に相応しい、
見応えあるレース展開でした。(^-^)
特にメダルを争う上位チームの接戦ぶりは、順位変動が
大変激しく、二日目は大逆転で優勝が決まるなど、
話題の多い大会となりました。
優勝は全諏訪チームで、強力でした。
2位~6位までのチームも、一時は優勝争いに
加わる勢いがあり、そんなに差がないと感じました。
上田東御小県チーム、長野市チーム、飯田下伊那チーム、
全佐久チーム、上伊那チームと、上位6チームの
メダル争いは特に壮絶でした。(;^_^A
僕は勿論、地元飯田下伊那チームのメダル獲得を
(o^^o)(o>ω<o)応援していましたが、
一歩届かず4位でした。(´・ω・`)
しかし、初日はトップを争いに加わり、2位という
好成績でしたし、二日目に総合で4位になりましたが、
チーム一丸となっての頑張りが伝わってきました。
個人的には、順位以上に価値のある成績で、
素晴らしいレースを展開したと思います。
今回、僕は大会の模様をラジオ放送で聴いたり、
チームのメールで情報を知ったり、長野県縦断駅伝
公式ホームページを時々チェックして応援していました。
大会当日は、色々と用事が重なり、空き時間をみつけて
なんとかゴール地点へ、応援に出向いたのですが・・・。
選手が来ると、応援に夢中になっていて
飯田下伊那チームの選手の写真が・・・(>_<)
うまく撮れず、↓こんなショットしか残りませんでした。(;_;)
スマホは、スポーツ観戦に不向きですね・・・!(>_<)
今回は幼子2人連れで、面倒見に慌ただしく・・・
ランナー仲間ともゆっくり過ごせませんでしたが・・・。
少しだけでも、長野県縦断駅伝を観戦出来て
とても良い刺激になりました。(^-^)
長野県縦断駅伝大会関係者全員の皆様、
選手団全員の皆様、お疲れ様でした。
感動をありがとうございました。
長野県縦断駅伝競走大会の思い出
実はこんな僕でも、かつては長野県縦断駅伝競走大会に
出場した経験があります。(^-^)
1996年の第45回大会から、2005年の第54回まで、
10年連続で10回出場させて頂きました。
長野県縦断駅伝10回出場の
↓記念トロフィーも頂きました。↓
チーム内では、最もスピード不足の(^_^;)選手でしたが、
それでも、何とかかんとか10年の間、
選手団に入れてもらいました。
こんな僕でも、奇跡的に地元紙に登場した
思い出もあります。\(//∇//)\ ↓
因みに僕が出場した時の成績ですが
10回出場のうち、選手でエントリー登録が5回
補欠でのエントリー登録が5回ありました。
その中で、僕が実際に出走したのは4回です。
当時の第6区(現在の第7区)を2回、
当時の第7区(現在の第8区一部区間)を2回です。
それぞれを走った区間成績は・・・↓
当時の第6区で5位が1回と8位が1回、
当時の第7区で8位が1回と9位が1回です。
(出場15チーム中の成績です)
それ以外の6回の大会では、補欠としてサポートに
回りながらの出場となりました。
この10回の中で、合計4個の銅メダルを頂きました。(^O^)
選手として走り、チームが3位に2回入賞して銅メダルを2個獲得、
補欠に回り、チームが3位に2回入賞して銅メダル2個獲得。
以上、こんな感じの経歴です。
年々スピード化が進み、周りの環境なども変化する中、
体力気力共に、レベルの高い選手団に入り続けることは
大変になり、もう何年も駅伝からは離れていますが・・・。
(^_^;)
毎年長野県縦断駅伝競走の応援に行くと・・・、
駅伝って、いいもんだなぁ~。
素晴らしいなぁ~と、
毎回、前向きに走り続けるスタミナが湧いてきます。(o>ω<o)
長野県縦断駅伝競走大会との出会いは、
僕のランニングライフの中でも、大きな
財産となっていることは間違いなさそうです。
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